みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

その言葉でしかいえないことば

少しでも正確にわかってほしい。相手に自分の状況・願望を正しく説明しようと懸命になり、常々言い回しに努力をし、時には「チョベリバ」「BKY」「ねもい」など、自分で言葉をつくりるにまで至っている。つまり多くの人が人間関係のコミュニケーションで、自分のことばでは自分がどうしたいかが相手にうまく伝わらなくていらいらしているんである。
私たちは「言葉は気持ちに追いつくことはできない」という現実を知っていながらも、正確に伝えようと、奮闘している。



ところで、それに多少なりとも関係する話だが、いろんな言語に、それぞれの言語でしか伝えれないような言葉がある。
日本語では言うならば「懐かしい」という言葉がそうである。
ほかの話者は「懐かしい」というときなんていうんだろう。
「miss」と表現されるのはもったいない表現じゃないか。
この「もったいない」も、ほかの言語でうまく表現できはしない。
ほかに「しょうがない」も。

私がぱっと思いついた日本語だけでも上の3つが挙げられる。
では英語では、ほかの言葉ではなにがあるだろうか。

私は(たぶん)話せれる言語は日本語・英語・マライ語で、母国語は所詮日本語だけなので、以下のように書き留めていいものかいくらかはばかられるが、気になったので書いておきたい。


英語で言う「FUCK」。いきなり汚い言葉で申し訳ない。
これは日本語に訳すれば「おんどりゃー 犯すぞゴルァ!!」ぐらいになるけれども、現地の人々が使うFUCKはそれ以上に意味があるんじゃないかと思う。


汚い言葉からいってしまったので今度は美しい言葉にしよう。
マライ語でいう「kasih」と「cinta」
どちらも「愛」という意味であるけれども、どういった愛かは説明するのが難しい。
簡単に言えば、cintaは恋人同士だけの愛情で、kasihは親子愛友情愛思いやりなど幅広い愛が含まれるのだと思う。
kasihもcintaも英訳すればLOVE/日本語に訳せば愛。でも、まったく質が違う愛である。


続いて、これもまた美しい言葉「bless」。
the god bless youは日本語訳しようもんならば「神のご加護がありますように」ですが、blessはそんな堅いとらえかたはされるべきでは無い気がする。
日本の宗教観が適当だから、blessをうまく訳せないだけかもしれない。
the god bless youをもう少しフランクにいえる日本語が存在しないことは、非常に惜しいことだと私は思う。


英語の「already」をうまく訳している言語もないとおもう。
「もう」とか「すでに」とかではあらわせない、若干いらだちを表現しているようなこの言葉。マライ語の「sudah」にもないような、なんともいえない「もうやっちゃったんだよ」「お前遅いよ」「そんなの昔の話よ」という雰囲気を醸し出しているこの単語も英語独特なんじゃないだろうか。

マライ語の「habis」に該当する言葉も、日本語には不足しているため、私は帰国当初いらいらいらいらしたものだった。


このように、いくつか「その言語限定ことば」というものが存在する。

自分を姉のように、母のように、親友のように慕ってくる人が多いため、
複数の男友達とデートをしていることを恋人に責めらたとしても、「彼らに対する愛情はfriendshipのloveでcintaじゃなくkasihなのよ!cintaという表現が使えるのはあなただけなのよ!わかってちょうだい!!」といえば、揉め事もあっさり片がつくだろう。

世界中の人が世界中の言語ニュアンスどおり全部理解し、自由に操ることができるものならば、意思疎通はもっと正確性が出てくるのかもしれない。誤解もなくなるかもしれない。

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しかし、今日び日本語も正確に話せていない日本語を母国語とする者が多くいる。きっとそういう人は日本語を母国語とするものだけでなく、世界中に母国語すら正しく話せない人は多くいるだろう。
多くの人が複数言語を自在に操れればいいなんていうのは、ただ単に言語マニアの気持ち悪い妄想なのだろうなー。

(約1600字)