みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

耳をすませば reviewed by 22 years old girl

ジブリ作品の中で私が一番好きなのは、この「耳をすませば」です。
この間友人に「耳をすませば、のタイトルがどういう意味か考えた事あるか」ととわれ、そういや考えた事ないどころか、ここ8年くらいまともに最初から最後まできちんと見た事がないので見ました。
22歳でみる「耳をすませば」。感じた事は昔と違うな。

人間というものは、その文字の通り、たくさんの人の間で生きている。
たくさんの人の中で生きて、たくさんの人からいろんなことをいろいろ言われる。
たくさんの人が生きている環境の中で生活している。
カンカンカンカンがたんごとん、受験勉強しなきゃ、彼氏ほしいみたいなー、一番線に野並方面の電車がまいります、本場の味オイシイヨ〜〜なんていろんな音がする中生きている。
流れみたいなのがあって、それにのっかって生きて行く。
いろんな人はあれしろこうしろ言って、なんとなーく不満あるいは不安を抱えながら、その方向へ進んでゆく。流れにのっていく。
いろんな人の声は聞くけれど、あなた、自分の声は聴こえていますか。
あなたの心はなんかつぶやいていませんか。それちゃんと聴こえてますか。それ、ちゃんと聞き取っていますか??


たとえば進路選択のときに、自分の人生に違和感を覚える人は結構居ると思います。その違和感の内容をしっかり見えているのか。目をこらしている時間もなく、流れにのっかっちゃっているってこと、けっこうあるんじゃないだろうか。
私は前述の通り家庭教師として中学生を何人か教えてきて、中学生と接しているけれども、「彼氏がいて当たり前」の風潮があるところでは「とにかく彼氏を」手に入れている。流れにのっかっちゃってる。きちんと考えているのか考えていないのかわかんないけど。
まわりが勉強する子ばかりなら勉強するし、しない子ばかりならしない、という、中途半端の進学校の私立文系受験クラスと国立文系受験クラスにありがちな現象からも、環境によって人は変わる生き物だって思ったけれども、環境に身を委ねすぎてしまうのはそれなりに危険だと思う。もちろん方法の一つでもあるし、それを狙ってそこに入るのもぜんぜんわるくない。先立つ思惑がのであれば、だけど。
怖いのは、何も考えずに、いや何も考える間もなく、流れを選ぶ間もなく、いずれかの流れにのっかってしまうことだ。


最近、人はもっと「考えた」ほうがいいっていうことを思う。
たとえば「なんとなく」こうした、というのならば、その「なんとなく」の内容をしっかり考える事。
なぜ、なぜ、どうして、どうして、となると、まるで一休さんのどうして坊やみたいだけれども、「なぜ」を考える機会を私たちは失いすぎているんじゃないだろうか。
「なぜ」「なに」あと「それで?」を考える事が自分のwhispers of the heartを聞く方法だとおもう。四国でわたしはそれを繰り返してきたのかも。



好きな人ががんばっているから、それに見合うようにがんばる雫ちゃんにはかなり共感するところがあった。自分も中学の頃は実はそうで、がんばってる人を好きになっていた。がんばってるから好きになったのか、好きになった人ががんばってる人なのか、よくわからないけれどもね。いや、なにも中学の頃だけの話ではない。いまそういう状況なのかも。前者なのか後者なのか、見極めるべきなんだろうけど、いまだ見極め中でまだまだ未熟だなあと思った。話が飛んでしまったな。


雫のお父さんが、他の人と違う人生を歩もうとする雫に向かって
「他人と違う生き方はそれなりに厳しいぞ。誰のせいにもできないからな。」って言っていた。
ほんとだねー。そこまで人とずれた生き方はしていないけどね。人と違う高校生活をしたから、ちょこっとだけ高校生活終盤で苦労したかなー。
でもだれでも生き方は他人と違うんじゃないかな。ある程度のフォームはあるとはいえ、違うさ。そのフォームそのものが違えば違う分だけそれはいえるけれども、雫のお父さんのことばは、万人に言える事だ。


せーじくんの結婚しよう発言は、昔は「すてきー!」とかって思ってたけどいまは「ばーか」とか思えます。しかも雫も、なにが私もそうなるといいと思ってた、なの。お前ら結婚を決意するにはぜんぜん会話してなくねーかとか思ってしまいます。15歳のとき結婚なんか考えた事なかったよ!
なんて思うのは、その分魂が汚れたって言う事なんですね。それか大二病かしらね。