みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

せまいせかいのはなし

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■独裁者は自分の尺度という狭い世界を大衆に押し付ける役割を持っている
大学生がシューカツ自殺が増えてるという話、(実際原因がどうとか、元のデータの数字が少ないから簡単に2倍になるとかそういうのはショートカットして)から、STVの友達が、就活から鬱っぽくなって、その家族も鬱っぽくなっちゃって、日本のシューカツが家族をも壊す、って知ったよ。
日本のシューカツというか、「大学卒業したらすぐにきちんとしたところに就職しないと人生終わる!」という先入観がひとやそのひとのまわりの人を苦しめる。
例えば、高校生くらいの人が、「小学六年生の女の子がいじめを苦に自殺」というニュースを聞いて、「そんな、人生まだこれからだよ」って思うだろうけど、女の子にしたらその世界が全てなんだよね。
シューカツ生の自殺のニュースでも、実際に働いている人は「そんな、人生まだこれからだよ」って思うんだよね。
大学生のシューカツの苦しみと、自殺した小学生の話はかなり構造が似てるんだ。
そこをクリアした人からすると、「そんなこと」。「もっと他の生き方ができるんだよ、命を無駄になんて、もったいない!」
薄っぺらい言葉でいうと、狭い世界、狭い視野で生きている。
「いじめられる学校の生活がすべて」「大学を卒業してすぐきちんとしたところに就職する世界がすべて」。

話はそれるけど、「いじめごときに」「就活ごときで...」「人生もっとつらいことがある」と上から目線でいう人もいるけれど、それはただの自己満足だと思う。
いまの洗練されたいじめや、いまの断られ続ける就活、断られ続けるコンカツ、顔だけで判断される男子高校の男子学生の恋愛がどれだけ苦しく悲惨なものか、その人にしかわからない。
苦しみや喜びはその人の中で比較できるけど、人が変わるとものさしが変わるのだから、ある人と別の人の苦しみや喜びは比較できないんだ。
自分の尺度で押し付けようとするのはまったくの自己満足で、結局相手のことなんにも考えてないだけじゃないかと思う。

自分の尺度だけという狭い世界を他人にもおしつけるもんではないです。