ともだちってなんだろうな
半泣きになりながら、「親友がマルチに囲い込まれて(私の)心がぺしゃんこになった話」というまんがを描いています。美しき学生時代の思い出がよみがえり、唇から歌が溢れ、やさしくて、そして悲しい気持ちになりました。
うちの父はめんどくさい人になんですが、そんな父とも仲良くしてくれた親友。
もう、その親友はこの世にいないのです。少なくとも「いまは」この世にいないものと思ったほうがよさそうです。
そこでふと、考えるのです。
「ともだち」って、なんなんだろうと。
特に女同士の友情は、環境の変化とともに途切れたり、ときにマウンティングの対象となったり、さまざまな描き方ができます。ときに美しく、ときに醜く、ときに表面的で、ときに心の奥にふれあうものがある。その友情がどんな形をしているかは、そのペアの関係性にもよるのだけど、じゃあわたしにとっての「ともだち」とはなんなんだろう、と。
で、考えてまとめたところ、こんなかんじでした。日本語おかしいのですが。
30になって「友達ってなんだろうな...」って最近思うことが多かったんだけど、お互い遠くから見守りあってて、自分の見方を押し付けず、楽しいことや面白いことを共有しあえて、困ったり辛そうな時に心や状況に寄り添ってつらいのを軽減させられるような間柄かなぁ、と思う次第
— 堀田みきほ (@miqiho) 2016年10月4日
- 自分の考えや見方を押し付けない
- 楽しいこと・おもしろいことを共有できる
- つらそうなときには、気持ちに寄り添って、つらいのを緩和させられる
この1と3の両立が、ときに、ごくときに、むつかしいときがあります。相手のためを思って、自分の考えを押し付けている。マルチに囲い込まれた親友がまさにそうなのです。
自分が何か言うときは、「気持ちに寄り添えているのか(かえって相手を追い詰めないか、不快にさせないか)」に気を配りたいな。
2に関しては、結婚出産などライフステージが変わったときにうまく機能しなくなるときがある。「友達がママになったとたんおもしろくなくなる現象」はよくある例かな。子育てに関する話をするのは、子持ちからしたら「楽しいこと」だし「おもしろいこと」だから共有したいんだけど、そうでない人からおもろない。また、わたしみたいに、他人の子育てにそこまで興味を持てない人もいる。
私は子どもが生まれても、万年筆や文房具についてだらだらと話したいし、インドネシアや東南アジア世界も紹介したいし、起業とか、ジェンダー差異の微妙なトピックや、社会問題についてもふれたい。子どもの話よりも、電子書籍を出したという報告や、民泊ビジネスのおもしろさについて話したい。