みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

川崎の歴史を勉強してきました:2017年3月3日石渡燃料店

わたしも講師として参加している「川崎大師まちゼミ」で、石渡さんの「大師の歴史を学ぶ」ゼミに参加して、川崎大師エリアの歴史を勉強してきました。備忘録メモ。

0 参加者はみな高齢

参加者は70歳以上の方がほとんどでした。ゼミというより座談会、お茶を飲みながらの談話会みたい。講師の石渡さんの話も有意義でしたが、参加者の「そうそう~あのころ私はこう思ってたのよ~」みたいな話がとてもおもしろかった。

1 大師線120周年

六郷橋~川崎大師を結ぶ線としてスタート。開通当初は「屋根のない電車」が走っていたそう。

四国の琴平電鉄に、大師線の払い下げ車両が走っているそう。(過去形かもしれない)

駅名の変遷。港町駅はかつては「コロムビア前」駅、鈴木町駅は「味の素」駅だったそう。

このまとめを書いている時点ではよくわかっていないのだが、いまの川崎駅あたり(当時の六郷橋駅?)からいまの港町駅前(当時のコロムビア駅)までに、「発電所前(久根崎)」「池端」「花見橋」という駅があったそう。数百メートルごとに駅があったというイメージ、でいいのかな。これらの駅がいまのどのあたりにあるのか、皆目わからない。

2「味の素」の地域貢献、雇用創出

かつて農村の人というのは、長男は家を継げて安泰だけど、よっぽどおだいじんで田分けをしてもらえないかぎり、次男以降は稼ぎが得られず嫁も得られず家族も作れず...という状況だった。

(これは岐阜の田舎でもそういうような話を聞くので日本全国共通の状況だと思う 昔の人はほとんど「結婚できなかった」ので、いまの日本の「みんな結婚できないといけない」という価値観は戦後に沸いたものであり、それを無理に引きずっているのだと思う これはまた別の話なのでこのへんにしておきます)

このエリアでは、味の素の工場ができたので、各家の次男以降も職を得ることができ、嫁をめとり「子どもを学校に行かせることができた」(参加者談)。味の素工場爆誕→雇用創出→各家庭繁栄→地域活性に一役買っているといえる。

味の素の工場由来の悪臭が川崎大師平間寺までただよっていたけど「近所のひとみんな味の素にお勤めだったから、臭いなんてとても言えなかった」(参加者談)。

「いまの各町内会の会長さんたちはみんな味の素OBさん」「年金がいっぱいもらえるからいいよね」「町内会会長の集まりを開くとOB同士で『おう●●さん』と呼び合ってて、親しげでなんかいいよね」(参加者談)。年金いっぱいもらえるからいいね、っていうのが素直な感想で聞いててよかったです。

味の素工場ははらっぱの真ん中にあったそうで、地元の人は「味の素の原材料は、原っぱにいるヘビだ」なんて噂をしていたそう。当時の人は無知だし素朴だなー笑える一方、かつて長居していた国の人々にも似たようなメンタリティあるよな、と思った。その国では味の素豚由来の原材料云々でさらにセンシティブな問題が起きたけど、それは今回は関係ないので省略。

参加者同士、「町内会にはぜんぜん還元しないんだよねー昔は工場見学とか体験に招待してくれたけど」「アラうちの町内会には来るわよ」「還元対象の町内会の範囲が減ったみたいなのよねー」との会話。工場見学、個別で申し込めばいいのでは...と思って聞いていたけど、「特別扱い&招待されたい」んだろうなー。「商店会主催のイベントや神社などのイベント、文化・スポーツ関連の活動には支援してくれる」とのことでした。

3 川崎競馬場は富士紡績の工場の跡地だった

参加者の方に、戦時中富士紡績で働いて、落下傘部隊が使って壊れた落下傘を修理する仕事をやらされていた方がいた。川崎競馬場は元富士紡績工場があったものだという。帰宅してから調べてみたらこんな事件もあったそうだ

煙突男 - Wikipedia

戦時中に富士紡績で働いていたという人は「落下傘の布は、絹でできているけど分厚くて丈夫だった」「やっぱり軍用よね」「当時の憲兵は本当に怖かったワ~~」「内通しあう世の中、北朝鮮よりひどい」とも話してた。(なお北朝鮮滞在経験はない模様)

「12歳で鉄砲の球を作らされ、兵隊さんがその品質をチェックする。コツコツコツという音を聞いたらほんとうに神経がひんやりした」「私たちの世代はいちばん学がないのよ、勉強させてもらえなかったんだから」。こういう人の話をもっと聞きたい。まだはっきりと話をされているうちに。

4捕虜収容所が2つあった

扇町かつて捕虜収容所があったそうで「アメリカは捕虜収容所の場所を把握していた、だからこの辺空爆がなかった」(参加者談)。

帰宅してから調べたら、捕虜収容所は扇町だけでなく大島にもあった。内海愛子さんの調査によると殿町の収容所でも空爆によって亡くなった方がいたそうなので、このへんは調べてみたい。いま、その捕虜収容所はどうなってるんだろう。

 

というわけで、川崎の歴史、調べ甲斐があっておもしろい。この土地に家を買うことを決めたとき、社畜やってた勤務先の人に「川崎なんて人の住む町じゃない」とディスられたけど、そんなことない。おもしろい。最初のイメージが悪いからこそ、どんどん良くしていこうとい気概になれる。発展途上だからこそ、手をかける余地がある。この土地に住むことになってよかったと思います。

まちゼミの自分の講座について

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みきほ氏はこんなかんじでやってます

3月9日にも開講します