みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

2019年5月のはじまり

ひさびさの「みきほ氏ブログ」です。

このブログは、「アジアとわたし」というテーマで、南山大学国語学部アジア学科で意識の高いふりをした意識の低い学生だった時代に書き始めた「m_h*asia」がベースになっています。当時はブログではなく「はてなダイアリ」でした。

 

ここ数年は、インターネットで何を書けばいいのかわからなくなってきました。ブログで儲けるとか儲けないとか、「夫は?年収は?整形ってホント?」みたいなウェブコンテンツとか、いろいろあって、自分がここで何を書くべきかわからなくなってきていました。そもそも、私はもうアジアにいない。また、「自分は元記者だ」という妙なプライドが、「中途半端な文章書いて誰にも読まれないかなしい状況」が起きるのを避けているきらいがあります。発信をしない、文章を書かない理由としては一番だめなやつや。

 

でも、なんか書きたい。そんな気持ちがむくむくと伸びてきました。 

アジアにはいけない。ネタがない。でも、いいじゃん。

月イチでもいいから、自分の近況や思考を知りたい友達や、未来の自分のために、またわたしが経験したこと・見たことが誰かの参考になりそうなことを書き下す、そんな場所にしていきたいと思います。

 

wavestyle.hatenablog.com

*別のテーマを持ってやっている上記ブログは続いています。

【ビジネスマナーがあわない企業とのやりとり】のはなし

medium.com

この話がとても印象に残った。

ただ、情報搾取する側は、情報「搾取」すると思ってやってないんじゃないだろうか。そういう企業文化というか、それをヨシとする価値観の企業(企業文化)なんじゃないか。お互いが前提としているビジネスマナーが合わないともいえそう。

以前わたしが関わった新興オンラインメディアは、「相手に原稿料を払わない」前提で原稿を書いてもらうための資料作りをしていた。印刷してクリップで止めながら「これは相手にものすごく失礼なんじゃないか」と懐疑的に思っていたけど、上司がそれをやれというのだから、「そういうものなんだな」とおもって、納得しないけどやるしかなかった。(当時は反論するエネルギーがなかったし、おかしいと思っているポイントを言語化する能力がなかった)

 

話は変わって、川崎で個人事業主になってからの話。

信頼していた企業に「コレ一緒にやりませんか」と持ちかけ、「おもしろい!やろうやろう!」と合意を得てた。「じゃあ、ウェブサイトわたしつくるので、価格表やスケジュールください」と提案して「ちょっと待ってね」と返信以降、まったく連絡がない。

「こっちはウェブサイトここまでできたんで」と進捗を伝えても、まったく返事がない---と思っていたら、私が提案した話を、その企業は別の事業者とやっていた。

 

「は?」「なんじゃそりゃ」

 

ってなったわ。

 

でも、信頼していた人だから、「は?」の内容を言語化することができなかった。

その企業とやってた別の事業で、不払いが続いて発生し「信頼していた企業」を真正面から疑う勇気ができたときに、

 

と、ずっとずっともやもやしていた「は?」「なんじゃそりゃ」言語化できた。

 

いや、わかるよ、私でもその事業者とやるよ。

でもさ、それさ、一言言えよ。わたしに。提案したの私じゃん。

もうこの人と一緒に過ごしたくない。平気で時間遅れてきたりするし、ビジネスの考え方が違いすぎる。マナー違反なんちゃうの?

 

こう言語化するまでに1年かかった。

「いい人」と思って信頼していたけど、商習慣、商業上の考え方、ビジネスマナーが違うから取引をしない、と決めて心を落ち着かせるまでに1年もかかった

 

---ということで、私はその企業とは取引をしないことにしています。共演NGです。

 

たぶん、こういう【考え方やビジネスマナーがあわない企業とのやりとり】はこれからも増えていくんだろうな。

「こういう企業とは習慣が違うから取引をしない」という線引きをしたほうがストレスフリーで働ける気がしてきた。

 インバウンド業界でいえば後者の人とは取引を避けるようにしたい。でもそうそうはいかないもんです...。

ビジネスマナーの解剖図鑑

ビジネスマナーの解剖図鑑

 

約10年ぶりコンサート生演奏をきいた

www.youtube.com

 

 

すごくいい体験だったので、ブログでもまとめておこうと思いました。

30代になってからはじめてのオーケストラでした。ずっと座りっぱなしで「ああ、オーケストラをよい状態で聞くのも体力や筋肉がいるな」と、自分の体の衰えを感じました。

続きを読む

インバウンド客から「日本の中古ファッション」の需要が高い件についてセルフまとめ

 

 

 上でまとめたものの補足です。

*ちなみに3号店が出店したCenterpointは私が15年前留学していた街・セレンバンにできたショッピングモールです、すごい都会化したんだなセレンバン。。。15年前には一軒も日本食レストランない街だったのに。なんか感動だよ。。。。

日本ブランドの認知度はまあ高い

・ユナイテッドアローズやビームスなどのセレクトショップは、東南アジアのおしゃれに興味がある上位中間層や将来的に上位中間層になる学生の間で知られている。情報経路は、カジュアルに訪日できるアッパークラスのファッションクラスタ(インフルエンサ―や芸能人、デザイナーなど)経路もあるけど、経産省のクールジャパン予算でできた期間限定ストア。

・(参考)2011年、シンガポールのTANGSにユナイテッドアローズやBEAMSなど期間限定店を出す。KLイセタンでもポーター等を扱うポップアップストアあるも、堀田知人のローカルの人からは「素敵、だけど高いよね」という評価が多め。

↓参考

www.mangosteen.com.sg

www.fashion-headline.com

→だから、日本で流行ってる・日本のファッションに対する知識はあるし、感触は悪くない。「いいな」と思うけど、値段がけっこうネックで実際の購入につながらない。

インバウンド客の中古衣料のニーズ 

・インドネシアやマレーシアの訪日旅行情報交換コミュニティを眺めていると、「(御徒町の)モードオフがすごいいい!」など、中古衣料店の口コミ多い。中古衣料店で買ったものを時刻の友達や同僚のお土産にすることも。ブックオフスーパーバザーとか、モードオフとか、そういう日本の中古ブランド服屋の情報ニーズが高い。けど絶対観光マップには載ってない。ここ、日本人側が「知ってほしい」情報と、インバウンド側が「知りたい情報」の溝だなと痛感する。

・アジア以外でも、フランスやオーストラリアの家族旅行者が、天候が予想外で服を急遽買ったという声あり。ユニクロのウインドブレーカーなどを買ってそのままホテルに捨てていってた。 

インバウンド客から「転売商品」としてのニーズ

・インドネシアでは「anello」のリュックが新品1万円以上で市販されている。(輸入品なので贅沢税がかかる)その値段でも買いたいということ。ちなみに日本の市販価格は3000円程度。2年前、子どもがまだ乳児だったとき、インドネシア人から「アネロの中古を(メルカリやヤフオクで)仕入れて羽田空港に持ってきてくれない?」的なビジネスの提案をもらったこと多数。

・ルイヴィトンやエルメスなどの中古国際ブランド品もニーズが高い。「シンガポールや香港で新品買うより日本のセカンドハンドのがいい」「日本人はキレイに使うから中古でも状態がいい」(インドネシア人・40代女性)

・インドネシア、マレーシア人相手のインスタ垢で「PrelovedJapan」(日本で大切に使われていたもの)を売る小売り業者結構多め。日本に住む留学生などが小遣い稼ぎ感覚でやってる。インスタで#prelovedjapan タグを検索。

アカウント例↓

www.instagram.com

 

アジアでは日本の中古衣料品が市販されている

・2012年前後のマレーシア、駅前などで衣料品を売ってる露店がランダムに出てくるんだけど、中身をよく見ると日本の中古レディースブランド。キャサリンロスとかavvとかローリーズファーム(古いロゴ)とか、状態はまあ悪くない。

・2013年前後のジャカルタでも、中級以下のショッピングモールで日本の中古衣料をリメイクしたっぽい服が売ってた。B級流れ品かな?と思ったけど、よくよくみるとどこどこ県立高校のジャージみたいなのもある。

・2010-2015の間でも、タイのバンコクで、または国境エリアで、日本の小学校のジャージが売ってるのを見かけたとの声あり。

→流通経路が謎。衣料支援品の横流しっぽい?

 

以上、私が知る情報をまとめました。越境ECは日本人より日本に住む留学生などのほうが一歩上手かなと思います。

2歳半の子供とalexaのいる生活 2018春

 

alexa(アレクサ)と暮らし始めて半年くらいになるだろうか。導入を決めた夫に「こんなのいらないよ」と言っていたけど一番使ってるのは私かもしれない。「こんな使い方してるよ」という紹介記事です。

前提:会社員の夫、自営業のわたし、2歳半の子どもの3人暮らしです。わたしは基本的に自宅で仕事をしています

ニュース読み上げ

NHK、天気、ヤフーニュース、日経電子版、今日の英単語の順に読み上げてもらうように設定しています。今日の英単語はたいてい知らない単語を学べますがすぐに忘れます。どっちかっというと英語耳のチューニング的な使い方しています。

集中タイム

25分の集中タイムと5分の休憩時間を交互に教えてくれるツールです。仕事をするときに使っています。

集中タイム

集中タイム

 

タイマー、アラーム

平日の6時台と7時台に3回かけてます。アラームは料理の時に便利。

駅しりとり

駅名しりとりです。わたしはカジュアル乗り鉄で、こういうのが好きです。

最高84回続きました。うちのアレクサは「めぐろ」か「めじろ」というと終わってしまいます。

駅しりとり powered by 駅すぱあと

駅しりとり powered by 駅すぱあと

 

Prime Music

アマゾンファミリー利用しているのでprime musicは聞けます。

「unlimited(月額課金スタイル)だとかなりの曲が聞けるのはわかるけど、prime musicだとどういうのがあるの??」と疑問でし。実際使ってみると、子どもが喜ぶおうたが結構はいっています。

これはアルバムごとはいってます

NHK いないいないばあっ!  ワンツー! パンツー!

NHK いないいないばあっ! ワンツー! パンツー!

 

「ワンツー!パンツ―!女の子版」は入ってます

 

 おかいつ版ではない?ブンバボーンは入ってます。踊らせてます。

シングルCD エビカニクス

シングルCD エビカニクス

 

保育園で学んできたやつ。踊ってる

山の音楽家とか、かえるのうたとか、きらきら星とか、童謡も結構歌ってくれます。子どもが好きな曲が入ってるの助かる!!!

オトナが良く聞くのは、ジャズとかクラシックの音楽集。適当に「アレクサー、なんか音楽かけてー」ってお願いすると、「掃除がはかどるポップス」とかいうプレイリストをランダムでかけてくれます。 夫は料理するとき「スムース・ジャズ」というのをかけてます。

今後やりたいこと

alexaスキル、おもしろそうなやつをアプリ上で見つけては有効化しますが、うまく活用できていません。「花王 シミ抜きガイド」を見つけたときは「絶対便利だ!」と思ってましたが、一回も使ってない。必要なときは入れたことを忘れてます。とか少しずつ、実生活に取り入れるスキルを増やしていけたらいいな~~。

しりとり系のスキルも多いので、今後子どもの相手させるのにちょうどいいだろうなと思ってます。

あと、amazon echo plusを導入していますが、上記の使い方ならamazon echoとかでよかったな...とおもってます。テレビとか冷房とかとリンクさせる方法がよくわかってないので、時間を見つけてスマートホーム化していきたいな~~。

タイトル長い「訪日外国人からの評判を高める飲食店の対策集」を出版しました

タイトル長いです。

訪日外国人からの評判を高める飲食店の対策集

訪日外国人からの評判を高める飲食店の対策集

 

うちは社名も長いです。「合同会社 訪日インバウンド対応総合研究所」。

先日法人開業届を出す際、青色申告関係・開業届(県税事務所、市長あて、税務署あて)と同じような書類を書いたとき、長い社名にしたことを後悔しました。新卒就活のエントリーシートを思い出しました。延々と書くのつらい。

法人口座開設の際、金融機関で途中まで書類を埋めてから「すみません、書類が古い奴でした。申し訳ありませんが、書き直してください」と言われたときもつらかった。

 

で、今回出版した本も、長いわけです。タイトルが。メールで案内するたび、タイトルコピペしています...。自分の中では「からめる」と略して呼んでいます。

 命名した人↓

 

専門書なので、買わなくていいんで、そのかわり図書館にリクエスト出してくだしさい!!!

asahiya-jp.com

旭屋出版のサイトのほうでは、中身がチラ見できます。

自分の中で祖母の死をうまく処理できないという話

先週金曜日、母方の祖母が他界した。祖母は去年の9月から危篤と小康状態を繰り返していた。母の日の13日に、母に連れられ、葬儀場で再会した。

最後に会ったのは結婚前の2014年ごろ、入居する特養ホームで。今回と同じように、母に連れられた。その時、すでに祖母はわたしをわたしと認識していなくて、わたしをみて、母や叔母やわたしのしらない親類の名前を呼んだ。母に「お前に娘がいたのは、なんとなく覚えているような、、」と南東北・北関東っぽいなまりで話した。

 

その時点で、おばあちゃんの中に私はもういなかった。忘れ去られていた。

 

わたしの中でも、おばあちゃんは「死んだ」。もう私に浴衣を作ってくれることはないし、「んだら、作ってやっぺ」と、あのめちゃくちゃおいしいコロッケを揚げてくれることも、もう無い。新幹線のことを「汽車」とする奇妙な会話を繰り広げることはないし、掘りごたつの机の上に座って、照明を消した暗闇の中、巨人戦をブツブツと観戦するあの姿を見ることもない。兄のあせもにキュウリをぺたぺたと張り込むことも、大根おろしと蜂蜜を混ぜたものを強要することも、のどにネギを巻いてくることもない。「お茶のめ」と無限にお茶が出てくることも、やたらおいしい白みそのわかめの味噌汁(当時の私にとって白みそはすごく珍しかった)をよそってくれることもない。ストーブで焼いた干し芋(めちゃくちゃうまい)を「食え」と無限に渡してくれることもない。あのやたらうまい、ちょっとしょっぱい、豆が入った餅ももう作ってくれない。こう書くと食べ物のことばかりで驚くけれど、子どもを産んで、祖父母というのはやたらと子どもに食べ物を与えたがるということがわかったので、こんな記憶ばかりなのは栓なしか。

 

そんなことは、おばあちゃんが施設に入った瞬間、すでにわかっていたはずだ。わたしのなかのおばあちゃんはもういなくなった。私の中で、おばあちゃんは「死んだ」、と思っていた。

なのに、実体が灰と骨になって、思った以上に感情の揺れがあって、自分で驚いている。自分の中で、祖母の死をうまく処理できない。

 

祖母の遺影は母そっくりで、死に顔も母の寝顔そっくりだった。ついでに言うと、母と私はそっくりなので、祖母の死に顔を見て「私もこんな顔で死ぬんだろうな」と思った。祖母の死に顔はきれいだった。

 

.....

 

「死んでいない祖母」と最後に会話したのは、3・11の日だった。その日の夜の便でジャカルタから一時帰国をする予定だった。午前中、荷造りをしていて、昼過ぎ、ツイッター上が騒がしくなった。どうもフクシマで大きな揺れがあった、ということだった。すぐに祖母の家に電話した。(その時はまだ施設に入る前で、家にいた)国際電話だったからか、地震直後だったからか、つながった。「みきちゃんか。なに、日本帰ったっぺか?」「ううん、国際電話だよ。今日帰るよ。地震あったんでしょ、おばあちゃんだいじょうぶ?食器とかたんすとか倒れてない?」「大きい揺れがあったけど、何も倒れてね。だいじょうぶっぱい。いや、びっくりだった」そんなような話をした。少なくとも、この時までは、おばあちゃんの中で私は生きていて、海外でなんかやってる孫、というふうに認識してくれていたよなあ。

....

祖父ががんで死んだときは、わたしは交換留学生としてマレーシアにいたので、葬儀にも四十九日にも行けなかった。祖母の葬儀には参列できてよかった。