みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

ハーレムについて

ハーレムの少女ファティマ―モロッコの古都フェズに生まれて

ハーレムの少女ファティマ―モロッコの古都フェズに生まれて


イスラム世界でよく問題視されるハーレムについての本。

これは肯定的に書かれている。
ハーレムという言葉を聞くと、男が複数の女をはべらせて性的な快楽に溺れる空間と言うイメージがありそう。
それは間違いではないけれども、でも本当はハレームというのは男が女を保護する空間なのだ。

実際イメージ通り妻をめとって「保護する」という形で、複数の女性をはべらせる男性もいるだろう。
でもそれだけでなく、夫に捨てられた身内の女性の世話をする場所でもあるのだ。

イスラム法では男は女を「平等に愛せる」という条件で最大4人まで奥さんを持つことができる。
実際にブルネイのスルタン(王様)が二人奥さんがいるし、ゼミの先生調べでは私がいたマレーシアのヌグリスンビラン州の王様も複数奥さんがいて、日本人の妃がいたこともあったらしい。

イスラムと言えど、中東イスラムやヨーロッパのイスラム、アフリカのイスラム、東南アジアのイスラム社会はぜんぜんちがって、
同じ東南アジアでもマレーシアとインドネシアでかなり違うし、同じインドネシアでもジャワ島内とフローレスのほうでは勝手がかなり違うよう。

生きながら火に焼かれて

生きながら火に焼かれて


この本はアフリカのイスラム社会で虐げられていた女性の話。
この本があまりにも壮絶で、わたしはアフリカのイスラム社会をかなり見下していた記憶がある。

中東、アフリカのイスラム社会は女性がひどく粗末なもの、男性がいないとなにもできない、保護してやるかわりに男を満足させる存在という価値体系で、それが女性に権力が与えられない社会構造を支えてきた。
ハーレムの存在はその価値体系の産物、社会構造のひとつ。
現在、イスラム社会の一部ではその価値体系が変わってきている。でも、その社会構造は変わらない。
いくら女が強いと、有能だと、個人(男、女)が認識してもその社会構造は変わらない。社会的には女性が弱いと見なされて、保護すべき対象になる。女性に門の外に出る自由は与えられない。自分で金を稼ぎ、自分ひとりでものを買いにいき、自分で自活することは女ひとりでは売春婦くらいしか許されていない、そういう社会構造なのだ。


しかし、本書ではハーレムの中の社会仕組みなどそういうことしか述べられていず、著者自らがどうやっていち大学の教壇に立つまでの身分になれたのか、一切ふれられていない。
どうやって出世していったんだろう?彼女が大人になるまでに価値体系ががくんと変わったの?そういうもんじゃないだろー。
門の外にすら一人で出ることができない女性が、どうやって学校に通うことができたんだろう。


ちなみに、東南アジアでは民間ハーレムはないです。
私の生活圏でのムスリムは女系のミナンカバウ族だったからかもしれない。
女系社会で女性が家のことをきめる中心人物だった民族が広く分布しているから、ハーレムの発想はないのかもしれない。


イスラムは本当に広いなあ。