みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

大学のテストってどういう目的であるの??

新聞社の後輩の企画で、テスト企画なるものが立ち上がりました。
後輩はテストの過去問が出回ってたりするのになぜか憤慨しているらしい。
先生が問題を教えるのは、その先生が生徒にどういったことを学んで欲しいか公然と示しているから問題ないけど、過去問が出回るのは先生の意図を無視しているからとか、なんとか。
そもそも楽して単位をとってそれで身に付くのか?むしろ大学側は学生達に何を身に付かせたいのか???

個人的には単位目的の授業と内容目的の授業があってもいいとおもうんだよね。少なからず誰だって一回以上は『楽に単位が取れるから』というのが理由でとった授業があるとおもうもん。そもそも大学生の本分は勉強であるのか。オトナ達は大学生に向かって『勉強しなさい』とは言わず、いろいろな体験をして見聞を広めなさいとアドバイスをくれることが多いことからも、大学生に求められる事は勉強とは違うんじゃないのか。そもそもみんな勉強しかしなくなったらみんな研究職や教授になれという事なのかーー?

大学の存在意義には本音と建前があって、大学生の存在意義はそれらのどちら側にもつかない場所にあるんじゃないかなー。

じゃあ大学のテストってなんなんだろうね?

高校生からしたら持ち込み可能のテストとかあるのは意味不明だと思うしどんなものか想像もつかないと思う。
大学に入学して最初のテストで困った事は2つあって、そのうち1つは’勉強の仕方がわからない’ということだ。
どれくらいわかり辛いかというと、高校の現代文のテスト勉強のやり方がよくわかんないというのよりもわかり辛い。
(現代文を除いた)高校の勉強は予習復習やってなおかつテスト用問題集などがあって普段やってることよりすこし難しい事がテストに出されるという感じ
テスト前に授業ノートを開いて前にやった問題をもう一度解き直したり覚えているかどうか確認し合ったりの理解度確認や補強ができるけれど、
大学の授業はそういうのがほとんどない。もちろん自主的にそういうことはできるけれども週に7つくらいのテーマに沿った授業をとっているので、すべての教科にはそこまで時間を割けない。
語学は練習問題などあるし、積み重ねの理系や薬学系も勝手が違ってくるけれどほとんどの場合練習問題がなく理解度を確認、補強ができない。
ぶっつけ本番。ぶっつけテスト問題用紙。
中には授業中間レポートを出させて、授業内容よくわかってなさそうな人に対してはなんらかのアドバイスをする先生もいるらしいけれども、基本的にそのテストの日迄自分がその授業に対して理解しているのかどうか確かめる手段がない。
正直ベースならずぶっちゃけベースなんです。

このテストのやり方には最初本当に戸惑ったけれども、大学のテストって人生のありかたの一面なんじゃないだろうか。
人生に、生き方に練習問題はない。常にぶっつけ本番。
持ち込み可能のテストは、持っている知識(=参照物)をいかに利用してその場面を乗り切るかの力も試されているのではないか。
大学のテストの存在意義は、これからの人生ってこんなもんだからそう思って取り組むようにという戒めでもある、気がする。

(困った事のもう一つは、これはうちの大学だけかもしれないけど答案が返ってこないという事。
最初は見直したいから返して欲しいと思ったけれども、慣れなのか、もうどうでもよくなってきました。
むしろテストの限られた時間で無理矢理書いた論述問題なんかは見直したくないかもしれません。)