「それから」と月曜会
夏目漱石の「それから」読んだ。
実は半年以上前に一度手に取ったものだけど、最初の70ページくらいで挫折した。このままじゃあいかんと、再度読み直すきっかけ無いかと探していたら名古屋文学サロン・月曜会の存在を知り参加してみる事にした。課題図書とうプレッシャーのおかげで、ちゃんと読破できました。
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1989/11/16
- メディア: 文庫
- クリック: 154回
- この商品を含むブログ (64件) を見る
私個人としての感想は、
1.高等遊民ニートの代助の言い分として、『働くなら生活以上の働きをしないといけない』『欲しいものがダイヤよりパンという風になっちまったら人間おわりだ』。
つまり、別に働かなくても生きていけるんだったら適当な自分のやりたくない仕事じゃなくて、国の発展に貢献するような、言い換えればやりがいがきちんとあるような仕事じゃないとやるきしねえよ、というわけだ。
いま大学生離職率30パーとか言われてるベースのあたりには多分そのへんがあって、「こんなキツい思いしなくても、別に生きていけるから辞めてやる/他の楽な仕事がいい」となって仕事を辞めたり、転職したりするのだと私は周りの辞職経験のある先輩方をみて、そんなふうに思っている。コレは結構代助に通じるものがあるんじゃないだろうか。100年前の漱石が書いた言い分と現代の若者が共通してるってのはすげえなあ。
2.けっきょく代助は友情なんていう素晴らしいものの為に自分の三千代に対する想いを押さえた結果、最終的にどっちつかずになってしまって、誰も幸せになれない結果になっている。だから、いかなるときも『自分は何が好きなのか』を確認する事が大事なんだよって言う教訓があるんだと思う
の二つにまとめられる。
月曜会は課題図書別にいくつかのグループにわけて議論する。うちんとこのグループは10人で、20代と30代ばかりだった。そのグループの方からの意見箇条書き
- (2について)代助が三千代を好きというような話は突然現れて、昔から代助が三千代の事を好きだったというのは代助本人の思い込みじゃないのか。
- 三千代すげえ悪女。高校の頃に読んだら、『三千代なんて可憐なの』と思ったけれど、今読むと『小悪魔!!』と思う。でも、これは「こういう小悪魔な女は不幸になるぞ」「働かない男はいかんぞ」という教訓本でもあるのかも。
- 代助(および現代のニート)は、『知的である事で自分を守っていた』。しかし、三千代にであってそれをぶちこわされてしまった
- 論理論理できてイントロが長い。でもそれは打開する瞬間に向けて緻密な計算である。
- 現代人でもイギリスに留学したら太陽が出ない時期とか鬱屈する。漱石は、西洋と日本のぶつかりあいを自分の中で体験し、その上鬱屈してしまう天気がそのぶつかりあいに拍車をかけたから余計病んだんだろう。
- 人間の本質はこういうだらだらしたかんじの純文学からこそくみとれる。現代文学や現代の若者が読むようなラノベは一つの話が終わる迄いっぱいいろんなことが起こっている、ゲームのようなスピード感があってそれに慣れている人からすると(私が最初挫折したみたいに)読みづらいものだ。
- 「それから」は朝日新聞で連載してて、当時はエリートしか新聞読まなかったんで、読者は今若い子が携帯小説読むような感覚でどきどきしながら読んでたんじゃないか。ある程度読者の共感はあったんだと思う
などなど。ほんとおもしろかった。
いろんな人と話していていっそう感じたのは、どんな本でも年を重ねる毎に違う見方が見える、どんな昔よんだ本でも読み返すとぜんぜん違う感想を持つという事だ。
読書の醍醐味はそこにもあるんだな。
私はそこ迄読書家な方ではないから、ああやっぱり本読んだ方がいいな、読みたいなと改めて思った。