みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

時代の流れか

奈良に行った時、鹿もたくさんいたけれどそれ以上にたくさんいたのは観光客、とりわけ修学旅行生でした。
修学旅行生というか学生というか、写生にきた小学生から高校生迄、はたまた私のような大学生まで、インフルエンザの菌が広まるエリアだなと実感しました。
その修学旅行生達を見て、ひとつ違和感が。
みんなデジカメ持っとる。

あの子もあの子もみんなディジカメを手にしている。デジカメケースを手にしていたり、首からデジカメをぶら下げたりしている。
いちおう修学旅行生をチェックしてみたが、誰一人として使い捨てカメラを持ち歩いていなかった。なんだかショック。
あの子達は、私たちが修学旅行や社会見学でやらかした、「フィルム巻いてなくて取り直し事件」や「フィルムあと2枚ピンチ事件」みたいなことはないんだろうなー


小学生男子が寺に火をつけたという事件もなんとなく時代の流れを感じた。
私たちが小学生の頃は学校に焼却炉があって火がゴオゴオ燃える様をいつでも見ることができた。それで、火は怖いということをちゃんとわかっていた。
田舎だからかもしれないけど、ダイオキシン云々言われる前はドラム缶大の家庭焼却炉があって、そこでいらない本を燃やしたりした。通学路にもそういう火があるところはあった。焼き芋もやった。ごおごお燃える火を見て、ごみを焼き尽くす炎を見て、美しいとも思ったけど根底には怖いものだという気持ちがあった。
『火遊びは危ないからしちゃいけないよ』と言われることはあったが、そんなこと言われなくても火は怖いもんだという認識はあった。
そしてそういう認識は、幼い頃から炎になじみがある生活があってこそ生まれたのだと思う。

でも今の子供は、とくに都会は、炎と触れ合う機会が無いのだと思う。
思えば、名古屋に来てから私はほとんど炎と触れ合ってない。そのへんでたき火やってる場面なんか見た事無い。花火ができなくてけっこう困った。
子供達は火遊びしようにも火遊びする場所がないと思う。あとこれは妄想だけど、いま各家庭IHヒーターを使い床暖房を万全にし、コンロや石油ストーブなど炎を見るための媒体さえ各家庭から消え去っているんだと思う。人工的に炎が燃える様すら見る機会が減っていると思う。
原始的に、火は人間が生活する為に必要なもので最も身近な存在だったのに、いつの間にやら遠い存在になってしまった。

「火遊びやっちゃダメ、危ないから」
そう言われても、炎がどんなものかなじみが無いし、どんなふうに燃えるのか見当もつかない。
でも、炎に魅力を感じる。ごうごうと燃える様、見てみたい。
そういう子供の知的好奇心からああいう行動に走っちゃったのではないかなあとも思う。