みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

DevRel活動について調べ始めた2023年の振り返り

こちらのブログはDevRelのカレンダー | Advent Calendar 2023 - Qiitaの12月12日の記事になります。

この文章は、大枠をiPhone X 3の音声入力機能を使ってGoogle keepに出力したのち、はてなブログで整形したものです。



2023年に行った活動のひとつとして、ディベロッパーリレーションズについて勉強したということが挙げられます。

ディベロッパーリレーションズに関心を持ったきっかけ

私は2022年の3月から外資IT製品の取り扱う販売代理店のマーケティング部広報担当として働いています。その製品はもうクラウド上で契約できるものなので、代理店ができることって一体何なんだろうと思って悩んで2022年を過ごしました。2022年末に、「開発者との関係性づくりの活動」ということで、デベロッパーリレーションズについて関心を持ちました。

デベロッパーリレーションといっても採用広報として技術力アピールのデベロッパーリレーションズであったり、まぁあといろんな原理主義であったり諸説あるもののようで、何なのか正直まだよくわからないです。そして販売代理店ができると言うこともいまだにぜんぜん何かわからない。

実際ディベロッパーリレーションズ担当者の有名な方活躍している方は、他社は自社プロダクトを持っているか、採用広報との2つが大きいんじゃないかなぁと今思っています。

エンドユーザーインタビューたのしい


そんな中ほんと代理店としてできることって何なんだろう(3月のカンファレンスでは中津川さんが製品の情報発信とおっしゃっていて、それはすでに取り組んでいる)とりあえず今手探りでやっているのが、エンドユーザインタビューです。

導入事例とはちょっとまた違います。「なんでこの製品使ってくれてるの?」「どこが好き?」というのをユーザー歴でははるかに先輩にあたるエンドユーザーに聞いて自分の理解を深めるとともに、接点として自分を相手に認知してもらっています。これがめちゃくちゃ楽しい。あと取材相手の方から「取材を通して自分がなんでこれを使っているのか言語化ができました!」と喜んでもらえたことがあってよかったです。

そのほか、SNSでエンドユーザーを見つけて意見を集めたり社内に共有したりと言うことを地道にやっています。

 

オフライン回帰はうれしいけど、家庭人にはむつかしい



オフラインのコミュニティーに関してはいろいろ参加もっとしたいなぁと思うけれども、家族の犠牲が必須になるのでなかなか厳しい。3月のDevRelカンファレンスでも、本来帰宅してお留守番しているべき小学生のこどもが行方不明になってしまったので、予定より相当早く引き上げて帰ってくるはめになりました。

でも、そんなこともずっと言ってられないので2024年は出て行きたいなぁ。とにかくユーザとMeetupする場に足を運びたい&自分も作っていきたいなぁと思います。

他の人と比べないようにすむようになりたい

DevRel活動を始めてうまくいかれている方を見ると、焦ってしまいます。

先述の通り、実際ディベロッパーリレーションズ担当者の有名な方活躍している方は、他社は自社プロダクトを持っているか、採用広報が多いです。

マジックポッドのたがみじゅんこさん、(ちなみに同じ大学で同じ時期に大学してかつ子どもがいるという点でも同じなんですけど)どうやっていろいろ回してるんだろうといつも尊敬の念を抱きます。もう彼女の場合はコミュニティー巻き込み力が相当強いなぁと思ってしまう。

でもまぁ人と比べても仕方がない。配られたカードで、とにかく自分がやれることを続けることだなぁと思います。

デベロッパーズリレーションズについてひとつだけ断言できること


リベルパーリレーションズと言う仕事について、手探りの私が1つだけ断言できることがあります。この職業は25年前には存在していなかった。私が中学生だったときにはなかった職業だということ。

私は今年の9月に地元の住んでいる自治体の公立中学の中学2年生に向けて、IT企業で働く人の代表と言うような形で、職業講話の話し手として招かれました。そこでお話ししたんですけれども、IT企業のウェブマーケティングと言う仕事は20年前に私が中学生だった頃はなかった仕事だと思います。いやあったかもしれないけれども、職業ってそれでご飯食べていく人がたくさんいて初めて認知されるわけなのでそういう意味では職業としてはアメリカにはあったのかもしれないんですけども、まぁ少なくとも岐阜の片田舎の小娘は、知る余地もない職業ではありました。


私は大学卒業した後失恋してむしゃくしゃしてIndonesiaに飛び出てそんで新聞記者をとしてキャリアを始めた人間なんだけれども、私が中学生の頃には既にインドネシアで新聞記者として働く日本人と言う存在は私自身は知っていた。私は中学生の時に知っていた職業に、私は大学卒業の時についた。そしてそれから15年経った今、中学生の時には知らなかった職業についている。

目の前の中学生に向けて、あなたたちは今知っている職業に今は存在していない職業に就くかもしれないというお話をしました。私の話を聞いた人たちは、10年後15年後25年後どんな仕事についているんだろう。楽しみでもあり怖くもあります。


その頃にはもっと開発者向け広報ディベロッパーリレーションズと言う職業なのか働き方なのかよくわからないけれども、これはもっと認知されているのかな。

 

わたしは、いとも簡単に職業が淘汰され、また新しい職業が生まれる時代にいるんだなあ。