精神論的な東南アジア式赤子ギャン泣き論
午後九時の浅草線、赤ちゃん抱っこしてベビーカーをひく女性が乗り込んだ。
席はあいにく満席。みな仕事に疲れ切って眠りこけているか、スマホで懸命に情報収集をされている。
そんな中、席を譲ったのは、優先席にすわっていた白髪の女性だった。
酔っ払いには寛容だけど、子連れ、赤子持ちには厳しい、というより無関心を決め込む日本。
子連れ、赤子持ちの女性には寛容だけど、酔っ払いに厳しいインドネシア。
どっちが子育てしやすそうか。メイドさんが安いとか衛生面とか一長一短ではあるけれど、子育てしやすい空気感はインドネシアにはある。公共交通機関に赤子を抱いた女性が乗り込めば、何人か笑顔になった。赤ちゃんに話しかける人もいた。
インドネシアとかマレーシアとかシンガポールの公共交通機関あるいは公共の場で「この世の終わり」的な泣き方をする赤ちゃんって見たことない。あと、奇声を発して動き回るような子供も見なかった。こんなのはある種の精神論かもしれないけど、多くの人が無条件に赤子や子供を慈しむ土壌がインドネシアとかにはあるからなんじゃないだろうか。