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みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

取材する側取材される側

日記-おもいで話

新聞に取材されて自分が意図していたこととまったく違う書かれ方をしたという経験をしたひとはけっこういるんじゃないか。
私もその一人だが、昨日取材についていってひとつわかったことがある。私の直感ですけど。

取材する記者が「二回り」離れていると仮定しよう。
ジェネレーションギャップが生じます。子供の有無にもよりますけど。(娘、息子でも違う)
「〜〜〜なくなくない?」っていうのがすっと通じない。
「ヤバい!!」っていうのはネガティブな意味の捉え方をするのが一般的。

記者の受け取る言葉と発している言葉にズレがいくつかある。それは世代のズレとともに発生するものだ。
記者がその世代世代まで感覚を移動させて話を聞く必要性があるかもしれないけれども、実際それは難しいと思う。プロならばやるべきだとも思うけれども、一般の会社で自分の使い方がわかっている人もいればわかっていない人もいるのと同様、やれてる人もいいればやれていない人というのが現実ではないだろうか。

私は以前「世界経済の悪化と就職活動の関係、何か感じる事があるか」ということで取材を受けた事がある。
「(自分と世の中の状況が)正直気まずいです」って答えたのですが、「親と気まずい」と解釈されたようだった。
考えてみれば「気まずい」を人間対人間の関係で使うのが一般的で、自分対自分で気まずいといっているのは...下手したら私ぐらいか...も。
それを(いくら仲の良い記者だとはいえ)取材で答えてしまった自分にも問題があるので他人の事はとやかく言えないと思いつつも、なるたけ「普遍的な」表現で受け答えをすると、思っていた事と違う事を書かれるという事は少なくなるかもしれない。

逆に自分が「普遍的だ」と思っている言葉も、取材する側の世代言語に翻訳されて掲載される恐れもあるとおもう。
人間と人間の言葉のやり取りだから受け答えにずれが生じてしまうのは、「正直ベース」仕方がない事かもしれません。


ゼロベースで、こういうタイプの人の人に「ざけんな」って言われると、本気で「怒りで」ぶち切れてるのか、感銘を受けた衝撃で(世の中に対して)ざけんなって思ってるのか、そういうことを知らなかった自分に対して「ざけんな」って言っているのか解釈しづらい点はある。
ことばってそういうもの。


ジェネレーションだけでなく意思疎通できない言葉っていうのはどうしても発生する。
大学の先生と話していてわかったことだが、50代のおじさんが女子高生同士の会話を聞いても意味不明だというのは世界共通のようだ。固有名詞と省略言葉が多いらしい。
同じ日本民族で同じ地域の人間でも、「階級」あるいは「種類」によって話す言葉は全く異なるのだ。
そしてそのギャップはときどき笑い話になる。*1
’レゲエで踊る人はハウスで踊る人の「気持ち」は推測できるだろうけれども、「共感」はできない’のと似ているかなあとも思う。

*1:ここでいう[発言]カテゴリでもあったりする

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