アルコール飲めない人のかなしさ
わたしはアルコールが飲めない。ここでのアルコールはワインだのビールだの酒だのチューハイだのそういうの全部をさします。それらアルコールを飲めるけど、翌日とってもからだじゅうの皮膚が大変なことになるのだ。翌日どころか、飲んでいる最中に内蔵各部が敏感になりすぎてしまうことだってある。
「あなたがアルコール飲めないのは残念だ」とよくいわれる。
それどころかこの間マレーシアのファミリーたちのところに戻った際、ホスト姉の結婚式前夜祭で、アルコールのかわりにミルクを飲んでいたら「mは相変わらずこどもだな」と馬鹿にされた。牛乳飲んで何が悪いんだ、プロフェッサー。お前の婚約者におまえが4年前一度に3人のガールフレンドをコントロールしていたことばらすぞ。私の牛乳大好きっぷりは、一緒に住んだ家族にも影響を与え、一家の男子平均身長5フィート3インチ(約160センチ)の家の末弟が13歳なのに5フィート6インチ(165くらい)あるのは、彼が8歳−9歳のころ私と一緒にミルクを飲みまくっていたことによるものだ、とあの一家のものは全員いっている。
ワイン収集癖のあるドクターが、私の再来を聞いて、私が生まれた年である1986年ワインをせっかく手に入れてくれたのに、飲むことができなかった。ドクターの一家に申し訳なかった。(そのワインは結局料理に使われました。どの料理に使われたかは知りません。)
「あなた、ビールを飲めないなんて人生の66%は損してるよ」とこの間兄のガールフレンドに断定されたばかりだ。すっごくむかつきます。彼女的に、ビールのおいしさをしらないのは人生において66%の損失だといいたかったのだと思うけれども、彼女の意味するところの66%どころの騒ぎではない。
金銭的な損失/対人的な損失もものすごく多いのだ。
たとえば大学生になって飲み会にいくとたいてい飲み放題料金を請求され、それなのに飲めない。自慢の敏感な膀胱のために、ソフトドリンクの飲み過ぎも注意。地下鉄で帰れなくなります。となると、飲み会においては食べ物でしかもとを取ることはできないのだが、大学生が飲み会でいくお店というのは「酒が安くてうまい」が基本で、食べ物についてはあまり関心を持たれないのだ。くそ、なんか残念だぞこのサラダ、ドレッシングとあってない、なんてことはしょっちゅうだ。それに食べる量も限界がある。つまるところ、金銭的にもとをとることなどできそうにないのだ。
私がアルコールを飲めないばかりに、周りに与えている金銭的損失もある。友達が数人集まるにあたって、ワインを持ってきてくれたけれども、ワインオープナーがないため、彼らはわざわざお向かいのスーパーまでいってワインオープナーを買ってきてくれた。ごめんなさい友達。彼女たちがワインを楽しんでいるのを、私はただただ眺めるだけなのである。ハブられてるわけじゃないのに、めちゃくちゃハブられている気分。
多くの人は、打ち解けのきっかけ、または手段として飲みの場に私を誘ってくれる。あるいは、もっと仲良くなりたいと思ってアルコールに誘ってくれるんだと思う。それを断られた側は決していい気持ちではない。場合によっては傷つけてしまうことだってあるのだ。
長く慣れ親しんだ友達でも、こんなことがある。先日、東京へ行き夜行列車で帰る直前に、昔ながらの男友達に会う機会に恵まれた。「アルコールなしでお店を探してください」とお願いしたところ、相手は「なんだこいつ俺がhさんをアルコールで酔わせてそこを襲おうと警戒してるんじゃないだろうなあ なんて自意識過剰なやつなんだ」と不快な思いをさせてしまった。そんな風に思われて、私もとっても不愉快であるのだが。
そんなわけで、私は酒のすばらしさを知っている人と比べて、酒のすばらしさを知れない点で100%、金銭的な面で50%、対人的な面ではかりしれないくらい損してると思う。
あーかなしいな。
写真は、写真部の友達がとった写真のポストカード。
こういうワインのボトルをコレクションできたらすてきなのに。あーここでももう損してる。