祖父の軍歴証明書の解読に苦難しているという話
前回の続きです。
取り寄せた「兵歴等の写し」には以下こんなようなことが書いてありました
(祖父の旧姓)秋男
<臨時陸軍軍人(軍属)届>
部隊編入:昭和19年10月1日
部隊編入区分:入管
最近の面会、通信などにより承知しある本人の所属部隊の名称:中支派遣専第7990部隊古川隊
右の所属部隊を承知せる根●:昭和20年2月15日戻通信にて承知す
●は読めない文字でした。
<陸軍戦時名簿>
中部第13部隊
中部軍 (日本軍) - Wikipediaによると中部軍は「中部地方西部・近畿地方・中国地方東部にまたがる中部軍管区の防衛と徴兵・動員などの業務にあたった」とのこと。陸軍での「中部」は東海三県+@だけじゃないのね。
昭和19年10月1日(二等卒)
輜重兵第104部隊 輜重兵第三連隊補充隊に入隊
同日、第二中隊に編入
(輜重兵...しちょうへい。兵站担当。陸上自衛隊においては、輸送業務や輸送統制を行う「輸送科」、糧食・燃料などの補給を行う「需品科」に相当する)
第104部隊というのはウィキペディアによると編成地は大阪のよう。
10月20日 衛戍地出発
(衛戍地...「陸軍軍隊が永久に一つの地に配備駐屯する」とした場所。軍事拠点?具体的な場所は不明。編成地である大阪のような気がする。
10月25日 山海関通過
中国の河北省、山海関。万里の長城のはじっこで、山海関より西側を「関内」と称し、東側の満洲を「関東」もしくは「関外」だそうです。
この「山海関通過」というのは、渤海を抜けて大陸上陸ということだろうか?大阪からとして、5日間の航海はどんなもんだったのだろうか。
ちなみに「山海関」でぐぐったら、名古屋市の伝馬町近くにある中華料理屋さんがヒットしたよ。この店も山海関から出入りした人が開いた店なのだろうか。
11月1日 第70師団輜重隊到着
11月1日~12月25日 浙江省坑県杭州地区で教育を受ける、警備勤務に従事
山海関から杭州へ。原文では「被教育」と書いてあったけど、教育・研修を受けるということだと思う。
グーグルマップで単純に見ると1300キロくらい距離があったわけだが、どのように移動したのだろうか。
昭和20年
2月8日 第65師団司令部に転属のため南京出発
2月10日 徐州着、第65師団司令部に転属、第65師団輜重隊に転属、馬淵隊に編入
ここで12月25日から2月7日までの情報が途切れてしまう。なぜ!?
杭州から南京は200キロくらいで、200キロ程度の移動は日常茶飯事だから特に記録されなかったのかなったのかな?
南京から徐州は607キロ。
65師団についてはウィキペディアが教えてくれました。
「治安師団」ということだけど、治安師団とはなんなのか。軍事に詳しい人のウェブサイトによると
支那事変により大陸で治安維持に任じる装備の劣る師団が新設され、治安師団(乙編成師団)と称しました。
また、同様に治安維持のために編成された独立混成旅団や独立歩兵旅団から師団に拡充されたものも治安師団と称しました。
とのことなので、守りのための部隊だたのかな、と思いました。ウィキペディアによると「第65師団輜重隊:久垣広文大尉」という人の下で働いていたということだけは確かそうです。
「馬淵隊」については不明瞭。ググってもよく出てこない。久垣広文大尉の下に馬淵さんという人がいて、その人が隊長ということだろうか。
3月10日~3月29日 教育を受ける 徐州地区を勤務
3月30日 砲兵隊に配属、砲兵隊本部に編入
4月1日 一等卒に階級が上がる
5月28日 東海移駐のため徐州出発
ここでいきなり、これまでの輜重兵としてのキャリアから砲兵隊に配属になる。この3月10日から3月29日は、「砲兵隊になるため」の教育を受けていたのだろうか。
(中国の江蘇省東海地区と推察)
5月29日 東海到着
20年3月30日~8月14日
大東亜戦争支那方面勤務に従事
これがどういう意味を指すのかわからない。砲兵隊として、祖父は何をやっていたのか? 東海地域で何が起きていたのか?
そして砲兵隊として東海地域で何かをしていた間に、終戦を迎えるわけです。
8月20日 徐州集結のため東海出発
9月1日 徐州着
21年2月7日 復員のため徐州出発
3月10日 上海港出帆
3月13日 博多上陸、上等兵、除隊
ぜんぶのルートを大雑把にグーグルマップにまとめてもらったらこのようになった。
おおよそ2863キロの大移動。どのように移動したのか、、、歩いたら587時間だけれども、当時の鉄道の状況などまでは調べられないので、いったん今回はここまでの整理にしておきいます。
また、別紙にこのような過去とが書いてありました。
昭和20年
8月14日停戦詔書
8月20日復員下令
9月2日停戦協定
官等級
昭和19年10月1日 二等兵
昭和20年4月1日 一等兵
昭和21年3月13日 上等兵
現時点で理解しているのは、終戦間際では江蘇省東海地区で砲兵をしていたこと。戦後祖父は上等兵になったということ。
私の中で上等兵と言えばこの人なので、「おじいちゃん、尾形と同じなのか!!」と思いました。
次の課題としては、
・「治安師団」がなにか
・「終戦間際の江蘇省東海地区の状況」を調べる
ことで、戦争で祖父が何をしていたのか、わかるのかなと思えてきました。
より詳しい方、私の解釈に間違いがあると思われた方、コメントいただけたら幸いです。