備忘録 子ども食堂の問題点メモ
はじめに、私自身は子ども食堂に興味はあっても、アクセスおよび可処分時間の事情で、一度も足を踏み入れたことはありません。話を聞く限り、こういう取り組みは素晴らしいし、必要とされている限りどんどん広がればいいかなと思っています。人生でもうやることなくなったらこういうことやりたいなあ、と漠然と思ってます。(現物見たことないんだけどね)
となりの区で、子ども食堂が新たにオープンしました。厳密には、となりの区で営業している飲食店さんが、子ども食堂の試みを始めました。が、オープン時に現場に居合わせた人の話を聞くに、子どもたちの前で「うるさい」と文句を言ってきた近所の方がいた、ということです。
普段はうるさくないタイプの飲食店だったため、近隣の人は平穏な日常が壊され気分を害したのかと思います。こういうトラブルってほかにあるのかな?と思い、「子ども食堂 問題」で検索してみたら、騒音問題だけでなく、いろいろと出てきました。読んだもののリンクまとめメモです。
やってみなきゃわからないことも出てきますが、こういう反省と考察は同じような失敗を防ぐよい教訓になりそう。
「なんでも自分でやろうとすると、資源が枯渇してめちゃくちゃに終わる」というのはどんな事業にもあてはまる。
広報とかであれば、自分でもサポートできそう。プロボノ的に参画するというのもありだなあ。
マルチに囲い込まれた友人が、退職したあとに失業手当を受ける手続きを頑として拒んだことを思い出した。生活保護を受けるべき人が申請しず、生活保護を受けている人を叩く構図も、これらと同じなのかもしれない。
あと、スマホで記事を読んでいるときに「子ども食堂って貧乏な人が行くところでしょ、と言われた」みたいな話も見かけた。
どうしても、普段会う人・交流が続いている人って、自分と興味・関心・語彙が似ている人ばかりになってしまう。普段会わない友達や親戚などに「子ども食堂をどう思うか」と聞いたりしてみよう。
子ども食堂をつくろう! ── 人がつながる地域の居場所づくり
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居場所のない子どもたちへ―「食」と「教育」で支える大学・地域・NPOの挑戦 (藤女子大学人間生活学部公開講座シリーズ1)
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「思い切りのよさ」が足りなくて機会損失した話
別ブログでも書いたのですが、女性向けビジネスリュック「biz+u」を買いました。
厳密には、クラウドファンディングの「makuake」を通じて支援し、リターンとして現物がもらえる仕組みです。プロジェクト自体は、川崎ぺちゃくちゃないとで登壇した時に知り合い、Facebook友達になった池之上さん(株式会社りくつな | Liczna inc.)の投稿で知りました。ミラサポでも鞄制作ストーリーが掲載されていました。
支援額(購入額)は56,250円と決して安くなく、私にとっては現物見ずに買えない額です。
なのですが。
けっこうな人が現物展示が始まる前に支援(購入)されてたんですよね。このクラウドファンディングのプロジェクトを知ったときには、すでに「超早割」は売り切れていました。また、現物見に行く2週間くらい前まで、2つセットで割引になるコースがあったんですが、私が購入するころにはもうなくなっていました。お届け予定時期も、当初は7月でしたが、私のは届け時期10月。
その、買った人の、思い切りのよさ、すごい。ネットの情報だけで5万もするもの買えるの。可処分所得に余裕があるからなのか、この横山さんへの信頼からなのか、サイト上の情報で十分なのか。サイト上の情報で十分ならば、どの情報が決め手だったんだろうか。
なんにせよ私は、その思い切りの良さが足りなかった故、手に入る時期が3か月も遅くなってしまったわけだわ。
この、ものごとを決断するコストが低い人たちと自分は、何が違うのだろう。。。
いや。ともあれ、鞄が届く、楽しみ。10月かあ、長い、長いぞ~~。
右のオールレザートートバッグはインドネシアで60万ルピアくらいで買いました。でかいトートバッグでなんでも入って、わたしの良い相棒でした。インドネシアは良質なかばんが安価で手に入って天国でした。
↑就職したばかりのころ、ジャカルタでローカル企業などを取材するときはこのかばん背負ってました。先輩(日本人)にすげえドン引きされてた。
開業1年
日本の朝食ハードルが高い話
はてなブックマークのid:pilpilpilさんのコメントには笑った。笑いこらえられへんでしたーの失笑。
子どもの朝ごはんは「3日連続でドーナツ」――今どき母親たちの“トンデモ朝ごはん”に共感の声も (週刊SPA!) - Yahoo!ニュース
朝:ドーナツ、昼:ヌガーチョコとバナナの国ではGoogleやAmazonがあり、朝:ご飯・焼き魚・味噌汁、昼:愛情込めたお弁当の国では東芝やSHARPがある。
2017/04/25 12:18
外食事情でいえば、シンガポール、インドネシア、マレーシアにいたころ、本当に恵まれてた。共働きがスタンダードなシンガポールは、朝食を外食か中食で食べるのが標準装備みたいなかんじで、粥とか中華まんみたいなのが街角で、お安い値段で売られていた。(店→クダイ)朝起きたらおじいちゃんがジョギングに行って帰りに家の前に売りに来てるワルンかホーカーズ(公共フードコートみたいなところ)に立ち寄って家族全員分のおかゆを買い、子どもはそれを食べてから登校する、みたいなかんじ。
マレーシアは、私が滞在した約10家庭を見る限り、毎日ではないが週に1-3回外で買ったものを朝食べる家庭がまあまああった。インドネシアは所得層によるけど、中食用の移動式屋台(ワルン)があって、粥とかソトアヤム(ココナツミルク入りチキンスープみたいなもの)が朝から手に入った。
日本でワルンやクダイに相当するのは、コンビニ。セブンイレブンが「朝セブン」なる、パンとコーヒーで200円というキャンペーンやっててヒットしたなあ。
他のお店(コンビニだけでなく外食・中食含む)朝セブン的のようなキャンペーンを展開してくれたら、日本人の朝食事情が変わりそう。こういうキャンペーンは、「朝ご飯は米と味噌汁と卵焼きとしっかり食べなきゃ」と思ってる層に、「朝ごはんこれだけでもいいんだ」っていう気づきを与える。
出羽の守とか言われそうだけど、日本人は朝食に限らず食事全般のハードルが高すぎると思う。みんな楽できるといいのに。みんな楽しようぜ。
これは執着だろうか。
今年は続き書きたいです。ちゃんと。
川崎の歴史を勉強してきました:2017年3月3日石渡燃料店
わたしも講師として参加している「川崎大師まちゼミ」で、石渡さんの「大師の歴史を学ぶ」ゼミに参加して、川崎大師エリアの歴史を勉強してきました。備忘録メモ。
0 参加者はみな高齢
参加者は70歳以上の方がほとんどでした。ゼミというより座談会、お茶を飲みながらの談話会みたい。講師の石渡さんの話も有意義でしたが、参加者の「そうそう~あのころ私はこう思ってたのよ~」みたいな話がとてもおもしろかった。
1 大師線120周年
六郷橋~川崎大師を結ぶ線としてスタート。開通当初は「屋根のない電車」が走っていたそう。
四国の琴平電鉄に、大師線の払い下げ車両が走っているそう。(過去形かもしれない)
駅名の変遷。港町駅はかつては「コロムビア前」駅、鈴木町駅は「味の素」駅だったそう。
このまとめを書いている時点ではよくわかっていないのだが、いまの川崎駅あたり(当時の六郷橋駅?)からいまの港町駅前(当時のコロムビア駅)までに、「発電所前(久根崎)」「池端」「花見橋」という駅があったそう。数百メートルごとに駅があったというイメージ、でいいのかな。これらの駅がいまのどのあたりにあるのか、皆目わからない。
2「味の素」の地域貢献、雇用創出
かつて農村の人というのは、長男は家を継げて安泰だけど、よっぽどおだいじんで田分けをしてもらえないor婿入りしない限り、次男以降は稼ぎが得られず嫁も得られず家族も作れず...という状況だった。
(これは岐阜の田舎でもそういうような話を聞くので日本全国共通の状況だと思う。祖父は婿入りした人だった。昔の人はほとんど「結婚できなかった」ので、いまの日本の「みんな結婚できないといけない」という価値観は戦後に沸いたものであり、それを無理に引きずっているのだと思う。これはまた別の話なのでこのへんにしておきます)
このエリアでは、味の素の工場ができたので、各家の次男以降も職を得ることができ、嫁をめとり「子どもを学校に行かせることができた」(参加者談)。味の素工場爆誕→雇用創出→各家庭繁栄→地域活性に一役買っているといえる。
味の素の工場由来の悪臭が川崎大師平間寺までただよっていたけど「近所のひとみんな味の素にお勤めだったから、臭いなんてとても言えなかった」(参加者談)。
「いまの各町内会の会長さんたちはみんな味の素OBさん」「年金がいっぱいもらえるからいいよね」「町内会会長の集まりを開くとOB同士で『おう●●さん』と呼び合ってて、親しげでなんかいいよね」(参加者談)。年金いっぱいもらえるからいいね、っていう素朴な感想で聞けてよかったです。
味の素工場ははらっぱの真ん中にあったそうで、地元の人は「味の素の原材料は、原っぱにいるヘビだ」なんて噂をしていたそう。当時の人は素朴で無知だなーと笑える一方、かつて長居していた国の人々にも似たようなメンタリティあるよな、と思った。その国では味の素豚由来の原材料云々でさらにセンシティブな問題が起きたけど、それは今回は関係ないので省略。
参加者同士、「味の素、町内会にはぜんぜん還元しないんだよねー昔は工場見学とか体験に招待してくれたけど」「アラうちの町内会には来るわよ」「還元対象の町内会の範囲が減ったみたいなのよねー」とのdis。工場見学、個別で申し込めばいいのでは...と思って聞いていたけど、「特別扱い&招待されたい」んだろうなー。「商店会主催のイベントや神社などのイベント、文化・スポーツ関連の活動には支援してくれる」とのことでした。
3 川崎競馬場は富士紡績の工場の跡地だった
参加者の方に、戦時中富士紡績で働いて、落下傘部隊が使って壊れた落下傘を修理する仕事をやらされていた方がいた。川崎競馬場は元富士紡績工場があったものだという。帰宅してから調べてみたらこんな事件もあったそうだ
戦時中に富士紡績で働いていたという人は「落下傘の布は、絹でできているけど分厚くて丈夫だった」「やっぱり軍用よね」「当時の憲兵は本当に怖かったワ~~」「内通しあう世の中、北朝鮮よりひどい」とも話してた。(なお北朝鮮滞在経験はない模様)
「12歳で鉄砲の球を作らされ、兵隊さんがその品質をチェックする。コツコツコツという(軍靴の)音を聞いたらほんとうに(怒られる・殴られるのではないかと)神経がひんやりした」「私たちの世代はいちばん学がないのよ、勉強させてもらえなかったんだから」。こういう人の話をもっと聞きたい。まだはっきりと話をされているうちに。
4捕虜収容所が2つあった
扇町にはかつて捕虜収容所があったそうで「アメリカは捕虜収容所の場所を把握していた、だからこの辺空爆がなかった」(参加者談)。
帰宅してから調べたら、捕虜収容所は扇町だけでなく大島にもあった。内海愛子さんの調査によると殿町の収容所でも空爆によって亡くなった方がいたそうなので、このへんは調べてみたい。いま、その捕虜収容所の跡地はどうなってるんだろう。
というわけで、川崎の歴史、調べ甲斐があっておもしろい。この土地に家を買うことを決めたとき、社畜やってた勤務先の人に「川崎なんて人の住む町じゃない」とディスられたけど、そんなことない。おもしろい。最初のイメージが悪いからこそ、どんどん良くしていこうとい気概になれる。発展途上だからこそ、手をかける余地がある。この土地に住むことになってよかったと思います。
リチャードとポーラの話とNHKの貧困特集
ただの日記です。
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