ジャカルタクシー#1
3年のジャカルタ生活の間で、数えきれないタクシーに乗った。ブルーバード(Bluebird)、エクスプレス(Express)のほか、ガムヤ(GAMYA)、セパカット(Sepakat)など、「えっそんなのに乗るの?」と驚かれるような会社のタクシーも私の足となった。そして多くの運転手のおじさんが、私のインドネシア語の先生になり、またインドネシアの社会を映し出してくれた。
これからしばらく、タクシーの運転手さんとのコミュニケーションから得た情報を、つらつらと書いていきます。好調といわれるインドネシアの経済の実態を、文化や大衆の考え方を、タクシーのおじさんたちの暮らしぶりから知ってもらえたらうれしいです。
★2013年3月31日 通称プルさん、40歳。
ブルーバードタクシー(プラザスナヤン→グランドインドネシア周辺、2万4000ルピア、約240円)
ジョクジャカルタの南部出身。高卒後、ジョクジャカルタで日系自動車のディーラー関連の仕事をしていた。30歳でジャカルタに上京。家族構成は不明(聞かなかった)
30〜34 ジャバベカ工業団地の台湾系ガラス製造加工メーカーで「マシン・テクニックの仕事」とのこと。おそらく技術工員。月給は60万ルピア(今の円換算で6000円ぐらい)。「昔は結婚してなかったし、物価も安かったし、いいワルンも住んでるとこの近くにあった。寮で、5−7人部屋? あんまり覚えてないけど、まあまあ楽しかったよ。ジョクジャの実家に送金もできたよ〜」
34〜38 「コントラクト・アウトソーシング(契約派遣)」で国営航空会社の「スケジュール・マネジメント」の仕事。どういった内容かは詳しくは把握できなかったけれど、どの機体をどのスケジュールで整備して飛ばすか、どの機体をどの期間どこからどこまで飛ばすかなどをマネジメントする仕事の補助、らしい。具体的になにやるかよくわからなかった。
「これはね〜残業もあったからよかったんだ〜〜毎月300万ルピア(3万円)位。当時はガソリンも安かったから。たぶん1リットル2400ルピア(25円)とかじゃなかったかな」続けたかったけど、雇用主側の方針が変わって契約更新には大卒資格が必要になり、高卒だったプルさんは転職を余儀なくされる。「まあ、仕方ないよね。」
38-40 ブルーバードグループの運転手。ブルーバードグループのバスの運転手をしていたこともあるそうです。「もう全然だめ。収入は月200万ルピアくらい?」と、前職から下がっている様子。1日のノルマの40万ルピアを稼いでも、ポケットに入るのは5万ルピア程度だそうです。(このへんのタクシーのシステムは運転手さんによっていうことが微妙に変わるので真偽がよくわかりません)
「渋滞で稼げなくなった。」渋滞でタクシーのメーターは上がるけど、割に合わない。同じ時間でも、動き回ってる方がメーターは上がる。渋滞中は、前の車が動いたらじぶんも動かないといけないとか、追突されないかとか、居眠りしないように気をつけなきゃいけないとか、ブレーキに足を乗せたままにしなきゃいけないとか、「けっこうストレス」だとか。私は今までタクシー乗ってる時、「渋滞でもこの人たちメーター上がるからいいじゃん」と思ってましたが、運転手さん側からしてもぜんぜんうれしくないんだなあ。今更考えを改めました。
<気になった会話>
プルさん「インドネシアにはどれくらい?留学?就労?」
みきほし「就労だけど、今はもう仕事してないよ。あと2週間だけ。いま荷造りしてるんだ」
プルさん「おお、残念だ。インドネシアはどうだった?」
みきほし「文化の多様性がいいね。国是のビネカ・トゥンガル・イカ(意味・様性の中の統一)がいい。それに向かって前進することはとてもいいことだと思う。日本人も見習うべきだと思ってる」
プルさん「あー、まあねえ。でもビネカ・トゥンガル・イカは難しいよ。マルク人、あの肌の黒い奴らを見てごらん。あいつらは悪い奴らだ」
2011年9月11日、キリスト教徒とイスラム教徒が共存するマルク州の州都アンボンで諍いがあった(拓殖大・井上先生のブログ)そうです。
1年半前のことだけど、しっかり心に刻み、敵対心を抱くジャワ出身の人がいるんだな。