みきほ氏ブログ

川崎在住、トリリンガル。日本にくる外国人観光客事情と対応術、インドネシア・マレーシアまわりのことを中心に書いています

そういうことだと思う

ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実


高校の頃だった、わたしの大好きな世界史の先生がこんなことをおっしゃった。
「そうやって若い世代を理解できない、おそろしい、ということは、
わたしが知る限り、わたしの前の世代からずっとおこってるんだよ」

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高校留年留学のため4年間高校に在籍した私は、よく先生に3年生のとき(4年生ともいう)不平をいったものだ。
なにが不満に思ったのか今ではしっかり覚えていない。覚えていないということは、1年生の男子が廊下でエロ本を堂々とさわぎながら読んでいただとか、下級生が野外プレイをしていたとか、(なんかえろいことばかりだな)とるに足らないことだったと思う。あ、「この間市街地いったら若い母親が、自分の子供が車道で寝転がっているのを放っておいたんだよそんな子供がこれからの日本を支えると思うとこの国怖いわ」っていったのだ。そうだそうだ。

彼は私が卒業すると同時に定年したのだと思う。そういう年の人なので、彼はむかし「戦争にも行ったことがない世代はだめだ」*1といわれる立場だった。そして彼が大人になったときはやはり「近頃の若いもんは」と若い者を批判する立場だったらしい。
彼にいわせれば、人間は歴史のうえで「近頃の若いもんは」と言い続けていたらしい。



で、文頭の本について、
空恋を前半だけがんばって読んでみたけれど、「なんじゃこりゃ!!」の連続だった。
そしてやっぱり、「これでなんで感動できるの?」「’大地の子’読めよ泣けるし感動するぞ」などなど、内心、これを感動するといっている読者たちを見下していたのである。

しかし、実際にあれは売れている。
1200万人が感動したというものは、冷静に考えて日本総人口の1割なのだが私のまわりにいる人*2適当に聞いてみたのだが誰ひとり読んだと答えた人はいなかった*3。でも、本屋をみる限り売れてるらしい。


id:aerodynamikさんのいうように、きっとこれは小説のニューウェーブで、私は認めたくないだけなんだろう。

魯迅が口語の小説を発表したときは、少なからず知識人階級の間では見下されていたと思う。
新しいスタイルなんだと思う。認めたくないけど。
きっとそうだ。


携帯小説から何が生み出されるのか、まったく検討つかない。次どんな化け物でてくんの。
そのため、あれらにアレルギー反応を示す人は余計毛嫌いするであろう。
そういう人はたいてい真の読書家ともよばれるべき人なので、ケータイ小説に対して寛容になることはできない。むしろ寛容になるのは不自然なのかもしれない。頭がかたいと言われるのは仕方がないと思う。
だけれども、自分が「旧型人間」と自覚することで、いくらか楽になれるとおもう。
そういうものなんだと言う、ある種のあきらめでもあるけれどね。



歴史を変える(または歴史上に名を残す)人というのは、たいていは粘着質だ。

と、先日大学の授業である先生がいった。マルティン・ルターなんぞはカトリック教会のあり方について95カ所もあら探しをした、とっても粘着。歴史に名を残しちゃった。
ケータイ小説の歴史にピリオドをうちたい人がいるならば、ルター並に本気出せば止めれると思う。
だれかしてくれないかな




個人的に、映画好きとしても、矛盾だらけの作品を公開してほしくない。ヤフーの空恋レビューのように、別の波紋を読みまた人を多いに傷つけてしまうので断固反対。ひどいよ。ざんねんだ。

*1:always三丁目の夕日の茶川さんだわ

*2:1週間で会う人みんな、+今回はいろいろ赴いて人に会う用事があったので、軽く200−300人には聞いてると思う。

*3:映画でしょ?ガッキーがでてるんでしょ?くらいの返答